写真展のご案内
2026年「尖閣諸島開拓の日」写真展
主催は尖閣諸島開拓者古賀辰四郎の子、善次氏から島を受け継いだ栗原家が残した志を継承し、次世代に受け継ぐべき栗弘会とLOHAS JAPAN(株)だが、メインの出展者はワシの大学時代の先輩であり、尖閣諸島はもちろん、韓国に不法占拠されたままの島根県竹島、ロシアに不法占拠されたままの北海道北方領土や民間人がめったに立ち入れない東京都硫黄島と、日本の離島のほとんどに上陸された山本晧一カメラマン、実はわしも山本先輩同様ほとんどの島に上陸したこともあり、この度、出展させていただいた。
さて、年も変わり、ここいらでまじめに日本の領土についてまじめに考えてみたい。時折しも島根県竹島を不法占拠し続ける韓国の大統領が訪日中である。現在の侵略者の首魁を我らが高市首相がいかに対応されるのか、かたずをのみ見守る…だけでは領土は帰ってこんぞ。
私が尖閣諸島を訪れ、魚釣島に上陸したのは1997年5月6日午前8時位30分からわずか2時間ほどである。それ以降も周辺海域への取材や上陸を画策したもの、叶わず、今のところその1回限りである。しかも取材というより、日本の国会議員、当時の新進党所属の西村眞悟衆議院議員が国会議員として初の上陸という偉業の記録係という立場であった。同行されたのは西村事務所の秘書やスタッフの方々だが実際に上陸を果たせたのは西村氏のほかに、何度も上陸されている現石垣市議でもある仲間均氏と映像教育研究会の稲川和男氏、そして私であった。
当初の計画では魚釣島に上陸後、島内で一泊する予定であったが、度重なる日本政府の妨害工作により一泊どころか上陸だけにも大変な苦難が予想された。
私が光栄にも上陸隊に指名されたのも、当時、内戦直後のカンボジアやモザンビークという灼熱の地で野営を経験し、かつ南極大陸という最も過酷な地から帰還したばかりであり、その大陸内陸部で使っていた衛星電話や通信機器にも慣れていたからという理由からであろう。
果たして、その尖閣諸島までの航海さらに上陸までもが過酷を極めた。地元漁民、川満安次船長が舵をとる漁船「みつ丸」はわずか4.5トン、トイレもない。その落ち葉のような小舟で、海保の目をかいくぐるため、石垣港を深夜0時に出港、荒波をかぶり続ける事8時間、さらにゴムボートに乗り移り、オールをこぎ続けること30分以上、這う這うの体で上陸したのであった。
果たして石垣島に帰港後、記者会見にも臨んだ西村議員らであったが、この際は中国共産党政府は一切、抗議すらなかった。逆に批判したのが時の日本政府や橋本龍太郎首相だった。その噴飯ものの理由とやらが「土地の所有者(栗原家のことか)が上陸を拒否しその意思を伝達しているのにもかかわらず、それを無視して行動する権利が国会議員といえどもあるのか」である。
さて、この尖閣諸島の領有権を現在何の歴史的根拠もなく主張し続ける国のひとつが中国共産党政府だが、それを言い出したのは1970年代、国際機関の調査からその周辺海域に石油埋蔵の可能性があると明らかになってからである。そして、その以前からも尖閣諸島が中国の領土だったとむちゃくちゃ言い出したが、これらの写真からもそれらがでたらめであることは明白であろう。
その際までの尖閣諸島は埼玉県在住の資産家の所有地であったが、その後、東京都知事となった石原慎太郎氏が東京都が島ごと買い上げると表明、それを知るや当時の民主党野田憲彦政権が誰に忖度したのか東京都に代わって国が買い上げると言い出し、直後中国大陸全土で日本企業や日本料理店に日本車まで、あげく日本大使館や領事館まで「愛国(愛中国)無罪」のスローガンを掲げた共産党政府の意を受けた中国人群衆の破壊工作や攻撃を受けるわ猛烈な反日運動がくりひろげられたのもご存じの通りである。
その後から現在までも尖閣諸島は国有地のまま、非常時以外、民間人が国の許可なく上陸できないままである。逆にこの周辺海域、空域で跳梁跋扈しだしたのが中国海警局の公船や中国人民解放軍の航空機であり、いまや尖閣諸島周辺海域と空域は日本の漁船や航空機がが自由に操業できぬは飛べぬ実質中国の海と空と化したままである。
さらに事あるごとに、中国は日本に因縁や脅しをかけつづけ、それはますます強まるばかりである。
これら中国の干渉、嫌がらせを跳ね返し、侵略の脅威を取り除く、唯一、簡潔な方法は戦前のように日本人が特に日本の自衛隊員や、警察、海保のような公務員を常駐させるしかないんやが、国有地となった現在に至るにも日本政府は民間人やろうが公務員やろうがただの1人も日本人の常駐もできないでいる。なんでやろう?
今回は500円を我らの写真を見るだけで500円をいただき恐縮であるが、これも尖閣諸島いや日本の領土奪回を啓蒙する一助となればと願いたい。
なお初日14日にはワシも山本先輩とギャラリートークに挑む予定であるから、お近くにお寄りの際はぜひお立ち寄りくだされば幸いである。
- 会期
- 2026年1月14日 - 20日
- 時間
- 10:00 - 18:00
- 会場
- 佐竹トライアングルスペースTRIGON
- 住所
- 東京都台東区台東東佐竹商店街
- 入場料
- 500円
写真展のご案内
沢田教一と一ノ瀬泰造(戦地に殉じた報道写真家、素晴らしきなんでもない世界)
- 日時
- 2025年11月15日(土曜日) 午後1時~3時(午後12時30分開場予定)
- 場所
- 東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル 6階会議室
(日本カメラ博物館隣 東京メトロ半蔵門線半蔵門駅下車 4番出口より徒歩1分)
- 定員
- 100名(先着順、座席指定なし)
- 参加料
- 500円(博物館入館料込み 日本カメラ博物館友の会会員・フォトサロン友の会会員・学生は無料)
- 申込方法
- 電話にて受付、または日本カメラ博物館にて直接受付 ※要予約
申し込み先:日本カメラ博物館 電話:03-3263-7110
詳細はこちら[PDF]
今年もやってきました。毎年恒例の「文化人・芸能人の多才な美術展」の季節が。昨年はマルチ画面で能登の震災とその後の復旧復興活動、さらに天皇皇后両陛下のご訪問等の作品で2枚の大型プリントで組んだがそれ以降入退院を繰り返し、過酷な現場に長く留まるは叶わず、自信をもってこれが今年の新作と呼べる作品を用意することができんかった。とはいえ、せっかくのお誘いであると、テーマがこの美術展が始まって「27年の歴史」ということと、今年が戦後80年の節目の年ということもあり、戦後70年をテーマにした作品を9年前に六本木ミッドタウンのフジフィルムギャラリーで展示した大型プリントを出展した。
残念ながら、会期中はずうと洋上に出て、在廊どころか、一切連絡がとれない状況であったため、他の出展者の作品も拝見できなかった。
また写真展「能登へ」横浜展では会期中10月11日ギャラリー・トークと言いましょうか、セミナーやシンポジウムというにはとても及びませんが、不肖・宮嶋も一言述べさせていただきますので、、お時間許されますのなら、ぜひお越しくだされ。
- タイトル
- 報道写真家 沢田教一のまなざし「戦渦を生きる人々」
- 日時
- 9月30日(火)〜10月26日(日) 10:00~17:00
- 休館日
- 月曜日(10月13日は開館)
- 場所
- JCIIビル 6階会議室
- 入場料
- 無料
- タイトル
- 戦場を駆けた写真家一ノ瀬泰造「もうみんな家に帰ろー!」
- 日時
- 10月28日(火)〜11月30日(日) 10:00~17:00
- 休館日
- 11月10日、17日
- 場所
- JCIIビル 6階会議室
- 入場料
- 無料