正論 11月号

正論 11月号
■発行産経新聞社
■定価740円(税込み)

記念すべき創刊40周年号に連載が掲載され、名誉なことこの上ない。表紙も日の丸をもろ意識したしぶいデザインである。表紙デザインのクレジットは青鴎社と事務所名はあるがデザイナー名はなかった。記念すべき40周年号にふさわしいネタをとのた打ち回って考えたがしょせんカメラマンの浅知恵、グラビアページやから写真がないとどもならん、というわけでふだんとたいして変わらんどころか、昨年もとりあげた「帝都、晴海に入港する自衛艦と第7艦隊旗艦」の写真とあいなった。というても写真は今年の、しかも先月の撮りたてのホヤホヤ。取材は米海軍の仕切りであったが、内外の新聞、通信社、TVはほとんど来たというのに、どれも扱いが小さかった。旭日旗をナチスの旗と同じやと、もはや眼医者に行ったほうがええ、朝鮮半島や中国大陸のメディアは姿を見せてないようやったが。40周年号の特集としては「はだしのゲン許すまじ!」。正論40周年にふさわしい特集のネタにふさわしいかどうかは別としてまああの島根県を発端にした騒動はフステリックであった。わしがガキの頃、とりわけ一番感受性が強かった小学校高学年のときこの「はだしのゲン」は少年ジャンプに連載されていた。当時のジャンプには「ど根性ガエル」、「トイレット博士」も連載されており、わしらガキは毎週楽しみにしていた。「ど根性ガエル」はテレビアニメ化されるわ、「トイレット博士」はメタクソ団を結成し、合言葉は「マタンキ」になり、わしらは毎号きゃっきゃっ言いながらむさぼり読んでいたが、「はだしのゲン」だけは他の連載と一線を画していた。なんであれがよりによってジャンプに連載されとったのか、先日もNHK特集でもやっていたが、当時はそれはそれはガキ共からは不人気で、編集長もいつ連載終わらせるかばかりを考えとったという。まあわしはほとんど毎号リアルタイムで読んでいたことになる。まあ年が年だけに、原爆のイメージがリアルに伝わったのと、川崎航空機に戦前から働き出し、戦後もそこで働きわしをもうけた、私の父なんかとはまったく違った考え方をする左翼思想を垣間見た最初の経験となったのを覚えている。わしは自分の考え方とどれほどかけ離れていようと、それがどれほど愚かで危ない考えやろうと、表現の自由には寛容である。それは20代、30代の頃、自身の作品発表の場がことごとく逃げていったことから、世間では「日本の憲法にも表現の自由は保障されとる」ときれいごとぬかすが、まあ実際はしがらみや世間体でそうはいかんのやと痛感した。けど自分の仕事で人を傷つける可能性というか、かならず傷つけるのがこの業界である。それには当然責任が伴うのは言うまでもない。その覚悟があるんやったら、ええけど・・・。他には瀬島龍三はソ連のスパイだった、という佐々淳行氏の長編記事、ああやっぱり、という印象やが、わしは写真週刊誌のダミー版時代に瀬島氏を初めて撮った。当時も伊藤忠の顧問やったと思うが、自衛隊観閲式にひな壇のうえで、観閲部隊を見下ろしているしぶいカットになったというのに、なぜか掲載されなかった。その10年後にも検事総長の葬式に出席したとこも押さえたが、それが最後になった。戦時中は関東軍参謀シベリアに抑留されてきっつい査問にあわんわけないわな。雑誌のインタビューで抑留時代のつらい思い出として「戦争中は佐官、戦後は左官やってた。」とシベリアの強制労働で壁塗りやらされていたエピソードを披露していた。まあ極寒のシベリアの労働キャンプで木材伐採させられるのもつらいが、なんで参謀が左官やらされたんやろ?経験あったんかいな?そのあたりの記憶はないが。