夕刊フジ 5月29日号

夕刊フジ 5月29日号 夕刊フジ 5月29日号
■発行産業経済新聞東京本社
■定価 140円(税込み)

誕生日前日号、実際はその前日、店頭発売やが、出張先のウクライナから送稿した。このウクライナ出張のあとはフランス、ノルマンディー、と海外取材のはしご、ここまでは出発前から予定されとった。フランス行くのなんか何年ぶり、10年いやもっとかな?中継地ですら15年は縁がなかった.あっ、そうや。2004年ちょうど10年前、今回と同じノルマンディー上陸作戦の60周年記念イベント取材のため、渡仏予定しており、仏外務省にも取材申請まで済ませていた。が、その直前までイラクのサマワにいた。メイイベントが6月6日の上陸が始まった日、この日にヨーロッパいや世界中からVIPやオタク共がノルマンディー海岸に集結し、結構気合いれた取材になる予定であった。ところが、イラクの治安が悪化、なかなか脱出ルートが見つからんうちに43回の誕生日を迎えた翌、上官橋田信介氏とその甥、小川功太郎氏がバグダッド郊外、マハムーディアで殺害されたという訃報がサマワにまで届いた。遺体はまだイラクにあり、特に上官、橋田信介氏の遺体がいまだ確認できないとまで、つたわり、のんきにフランスなんぞに行っとるわけにいかんようになった。結局その直後、わしはクウェートに陸路で脱出、二人の遺体も米軍機でクウェートに到着し、タイのバンコク経由で変わり果てた姿で帰国することになった。が、両家の希望でバンコクで荼毘にふされることになり、二人は骨になって帰国した・・・二人の人間の死の直前に会った最後の日本人、しかもその際、記念写真まで撮りあった仲としては、少なくとも骨になるまでは立ち会い、バンコクから成田に向かうタイ航空機を見送った直後、オーストリア航空でウイーン経由でフランクフルトに戻ったときは、すでに6月中旬、イラクに行くまえに、ノルマンディー取材に必要やが、イラクでは無用の500mmの超望遠レンズや三脚、その他、長袖の洋服なんかを経由地のフランクフルトのホテルに預けていたのを回収して帰国した。それぐらいおフランスとは縁が薄いが、パリには親戚がいる。いとこが学生時代から渡仏し、パリで家族をもうけて暮らしているので20年前のノルマンディー取材のときはうちまでおしかけ機材を預かってもらったり、その後の中東取材の前に、家族ともどもパリ市内の日本料理屋、たしかサントリーさんの店やったか、そこでいっしょに食事したぐらいである。今回もほぼ20年ぶりにいとこに会い、たった一日だけやが花の都を楽しめると、おおいに期待に胸ふくらませ、ウクライナの東部、ドネツク市内に響き渡る銃声にびびっていたが、つぎのノルマンディーへはドネツク空港が戦場なって閉鎖されとるから、危険承知でドニプロペトロウシク空港まで陸路で4時間、そこからイスタンブール経由でパリのドゴール空港、ここで日付が変わって空港ホテルで一泊、翌朝レンタカーでノルマンディーに出発した。パリに滞在し、いとこに会うのは帰国前でええやろとたかくくっていたら、結局、今回の連載の舞台になったベトナムに取材いくことになった。幸か不幸か、ベトナムは長くフランスの植民地、いったん帰国するひょりパリのドゴール空港からのほうがはるかに便がよく、結局、ノルマンディーからレンタカーでドゴール空港直行、一瞬もパリもいとこも見ないままフランスをあとのするはめになった。それぐらい、フランスとは笑いたくなるぐらい縁が薄いのである。ほかには一面には産経グループ意外ではなぜか一行も報道されない靖国神社の鳥居へのハングルの心無い落書きが掲載されている。けったいである。朝日新聞は四国のお遍路の道中に張られた韓国人女性に対する警告ビラを「ヘイトビラ」として全国版に掲載したが、韓国人が加害者と思しき事件はなぜか報道せんのである。なんでやろ?あと2面にはそのサマワで世話になった佐藤正久参議院議員、当時は第一次イラク復興業務支援隊長、一等陸佐がそのときのまま防弾着のまま登場されているのも因縁か・・・