月刊 HANADA 新春特大号

月刊 HANADA 新春特大号
■発行飛鳥新社
■価格840円(税込み)

昨年12月に亡くなった勝谷誠彦氏への追悼をかつての同僚だった柳澤健氏、上司だったNデスクのちN編集長こと西川清氏、さらに本紙の責任編集の花田紀街氏がなつかしい思い出とともにつづられている。柳澤氏はかつてわしもいっしょに仕事したことある週刊文春のグラビア担当の編集者で、とくに印象に残った仕事は幕張メッセのこけら落としとなった「東京モーターショー」にともに連日通ったことなどであったが、現在は作家として小説宝石誌上で「2016年の週刊文春」を連載中でそのインタビューで勝谷氏とお会いしてたのは、わしもインタビュー受けた際に聞かされたが、その際も勝谷氏のご記憶がトンでいたのを懸念されいた。本誌背金編集の花田さんは言うまでもないが、勝谷氏が記者だったころもう編集長になられてが、そのときからあの勝谷氏をうまく手懐けなれていた。当時の花田さんはわしらバッタカメラマンとはほとんど話す機会もなかったが、トイレでたまたまいっしょに並んだときに先週の写真の感想をボソッと漏らされるのが、これがまあ怖かった。写真も六本木の通りを勝谷氏と並んで歩いておられるとこやが、お二人とも若い。そうやって見ると花田さんは若いときの橋下徹元大阪知事に似て・・・ないか。西川さんの追悼文にはこのワシも登場させていただいた。ほんと、今になったら、取材先では、いやいろんな方々に誘われたり、誘ったりメシも食ったし、飲みましたね。西川さんの追悼文では触れられてなかったすが、第一次湾岸戦争中最初の派遣先になったカイロで、マア若かったし、夜も元気有り余ってたのか、「今日ぐらい明日も早いんやから、宿でメシ食うたらええやないですか」てなときも勝谷氏はワシ引き回して「おまえこんな戦争でもなかったら、エジプトなんか絶対来んやないか。せっかくカイロおるんやったら、地のうまいもん食わでどないする。」と毎晩カイロ中を歩きまわたけど、でも、もっとメシ食いたかったですね、ごいっしょに。残念です。