正論 6月号

正論 6月号
■発行産経新聞社
■価格940円(税込み)

いやあ、いまやすっかり日本人の間でも定着しつつある元号「令和」の発表も、その時代が始まる5月1日も不肖・宮嶋、二重橋前で迎えた。それだけとちゃうで。平成の世が始まったときも皇居前広場におった。まあ31年も前になるんか・・・ワシも20代やったか・・・あの時、平成が始まったとき、イコール昭和が終わったとき、すなわち昭和天皇が崩御されたときやから、令和はじまったときみたいな、喜びや新しい時代に対する期待とも無縁やったが。ところで、平成始まったとき、1月の冷たい雨に皇居の玉砂利の上で打たれたが、この「令和」発表のときは晴れやったが、「令和」初日の瞬間、5月1日00:00時も冷たい雨に打たれた。ただしこの瞬間は皇居の玉砂利の上・・・は目の前やったんやが、なぜか皇居前広場は前日つまり4月30日の18:00時以降立ち入り禁止になってもうたのである。「なんでや?」と警備の警察官に聞いたって、しゃあない。宮内庁や警察上層部が混乱やいわゆる「カウントダウン」大騒ぎを恐れたか、なんかの理由やったんやろうけど、その瞬間の立ち入り禁止を知らず、結構日本人がほとんどやったが、駆けつけてきたんは、その冷たい雨のせいで、それほど多くなく、わしも歩道上に脚立に大型三脚立てたが、とくに混乱も騒乱も無かった。ところが、やっぱ例外があって、二重橋前でテレビの中継なんかやるメディアは立ち入りも中継も許されたらしいが、事前の申し込みが必要やったとのこと。そんなこと知っとったら、当然申し込んでるわえ。なお、5月1日12時は確かに結構本格的に雨やったが、夜が明けたら文字通りからりと五月晴れ。これは新たに即位された今上陛下のご成婚のとき、平成5年やから、これまた四半世紀前か。その6月9日も同じ。あの日も朝から、土砂降り、皇居から当時は皇太子やったから、赤坂御所までのパレードも当然車内かいな・・・とがっかりしとったら、パレード始まる30分まえに、ぴたっと雨上がったかと思うたら、青空広がり、晴れ渡ったのである。ほんまや。わし、その日、パレード撮るためだけに場所取りで、早朝から祝田橋にかかる歩道橋の上で、超望遠レンズを雨から守るために格闘しとったから、よう覚えとる。結局現両陛下はロールスロイスの特注オープンカーにお乗りあそばせ、国民に晴れやかなお姿をお見せになることができたのである。あれ、わし日本政府が国上げて雨雲消すために、皇居上空になんか撒いたと疑うたぐらいやったのであるが、もちろんそれは両陛下の日ごろの行いというより、神がかりのおかげであったろう。